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分水ロータリークラブの活動報告

2014-2015年度11/11週報

2014/12/17

 

☆会長挨拶

 11月も半ばに差し掛かり、忘年会が始まる頃になりました。何かとお酒を飲む機会が増え、寒さも暮れにかけて増してきます。体調管理にはくれぐれも気を付けていただきたいと思います。

先週、今年度の現況報告書を配布したところ、一部出席率に間違いがあり、出席委員長から訂正の発表をしていただきましたが、例会終了後、年配の会員数人から自分の出席率も間違えているのではないかという申し出があったようです。「ロータリー在籍年数と年齢を足して85以上になると、出席規定の免除になるのではないか」というものですが、分水ロータリークラブの定款の中で、第9条“出席”の第3節“出席の免除”で次のような場合、出席規定の適用は免除されるものとするとあります。

(a)理事会の承認する条件と事情による欠席の場合。

理事会は、正当かつ十分な理由による会員の欠席を認める権限を持つ。このような出席規定の適用の免除は、最長12ヶ月までとする。

(b)年齢が65歳以上の会員で、かつ、1つまたは複数のロータリークラブのロータリー歴と会員の年齢の合計が85年以上であり、さらに出席規定のてきようを免除されたい希望を書面をもってクラブ幹事に通告し、理事会が承認した場合。

ロータリー在籍年数と年齢を足して85以上になっても、出席規定の適用を免除されたい希望を書面で提出し、理事会で受理しないと適用になりません。今年度、すでに出席規定の免除に該当する方でまだ書面を提出していない方は、提出をお願いします。

来週は年度最大のイベントであるガバナー公式訪問です。当日午後2時~3時まで、会長・副会長・幹事・副幹事・ガバナー・ガバナー補佐・小千谷RC会長と懇談会を行い、3時~4時まで例会、集合写真を撮って、4時20分から1時間クラブ協議会を行い、そのまま懇親会へ移動します。12時に間違えて例会場に行かないようにお願いします。

 

☆スマイルボックス

 ・田中 真 君…この度、次男坊の就職が決まり、やっとだっくらしました。

・添田忠夫 君…67回目の誕生日に誕生祝を頂き、ありがとうございました。

 

☆卓話:ロータリー講座

 「明治時代の地蔵堂と大河津分水」  卓話:氏田 公基 君

 

明治時代に大庄屋だった富取家の没落は、明治10年頃だろうといわれています。没落した理由は、贅沢をしたのか何なのか分かっていませんが、道楽をしたんだろうと思います。最後の家人が はじめ さんで「私の代で没落したので、家の墓には入れない。他の墓に入る」と言っていたらしいです。

明治13年:蒸気船「安全丸」が運行を開始し、今まで寄港しなかった大河津にも寄港するようになりました。寄港地は小須戸、加茂新田、三条、大河津、与板で、大河津にも寄港することで、物流が特にこちらのほうにも陸揚げさせるようになり、それが商業の繁栄につながったようです。

明治26年:北越銀行の前身である地蔵堂銀行が株式会社地蔵堂銀行となります。それまでは、両替商や質屋などで銀行業を行っていたんだと思います。

明治30年頃:渡部に石油会社が設立され、採掘や精製が行われるようになりました。新潟県では、三島郡や刈羽、柏崎、見附などでは油田がとれたので、渡部にも造られたようです。

大正元年:越後鉄道が開通しましたが、地蔵堂駅の問題がありました。その当時、大河津分水の掘削工事が始まっていて、鉄橋の高さが急すぎて止まれないと猛反対を受け、掘削土を盛り土しようということになり、それによって高さも緩和されたようですが、当初は相当揉めたようです。

大河津分水の工事について:享保年間、分水計画を幕府に願い出ましたが、財政難で却下されます。しかし、10年間で30回も洪水が起き、明治初期に工事が始まりますが、数年で中止。その後、横田切れという大洪水が起きた時は、水害での死者が数名だったのに対し、新潟市のほうまで水が行ったことでその後4ヶ月、水が引かず、赤痢や伝染病が発生し、それで大勢亡くなったといいます。これが、大河津分水の工事再開の契機となりました。

第2期の工事は、明治42年~大正11年に行われ、13年で通水しました。できるまでには、右岸側で何度も地すべりが起き、掘っては滑り、掘っては滑りで「化けもん丁場」と呼ばれました。この時の人夫賃は、男が50銭、女が35銭だったそうで、当時は上げ下げが激しかったんですが、米価でいうと50銭は約2,200円ほど、今でいうと1万円くらいじゃないかと思います。月給制ではなく日払い制で、17時くらいになると列を作って並んでいたようです。皆さんも日銭が入れば飲みに行ったりすると思いますが、この時は寺泊や地蔵堂の飲み屋が繁盛したようです。

昭和2年6月には、自在堰の陥没事故が起き、これがきっかけで可動堰に改修する工事が行われました。工事に携わったのは、当時の大河津出張所長の宮本武乃輔と、今でいう北陸地方整備局の青山士という人です。青山士はクリスチャンらしく、大河津分水の記念碑にはエスペラント語で「万象に天意を覚るものは幸いなり。人類の為め、国の為め」と書かれています。

新可動堰が平成23年11月に竣工するまで、旧可動堰は80年が経過していました。

 

~終~

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